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パブリックアートの使い方

/第1回共同リサーチ:あなたの住んでいる場所の近くにあるパブリックアートVol.3

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高橋幸世 バンクーバー、カナダ
day
2008-04-05
 

<日常の中の0.5秒の非日常>

 東京在住のあるメンバーは東京都府中市にある「童々広場」をレポートしてくれました。住宅街の道路脇の小さなスペースに走っている童子の像やカエルの像が複数配置されている、報告者曰く「えも言われぬ不気味で楽しい雰囲気」のある場所だそうです。ここで一時間ほど通行人を観察したところ、「歩行速度をゆるめることなく坊や(童子)の頭を軽くぽんと叩いてそのまま通過」した女性や、買い物の帰りに「オブジェの中の石に袋を置き、10数秒休憩。その後作品名や作者の書かれた石版を読んでいった」おばさん、自転車の後部座席に乗せられて通過する時に「カエルここにもいた」と叫ぶ幼児など、”アートを鑑賞する”というような堅苦しさ抜きに、さりげなくアートと遊んで行く姿が見られたということです。

(写真1)「童々広場」の童子とカエル

(写真2)近隣の住民にはおなじみの姿

(写真3)桜の枝を支える大切な役割も


 この「童々広場」は完成後11年が経過しており、地元の人にとっては日常の風景となっているとのことですが、それでもなお、このアート群はちらっと視線を泳がす、時間にしたら0.5秒くらいかもしれない「非日常との戯れ」を日常の中に今もなお提供していると言えそうです。この共同リサーチ報告の一回目でも触れたように、パブリックアートはすぐに「透明化」するという特徴がありますが、美術館の中にあるアート作品のように正面を切って強いインパクトで人々に迫って来ることが少ない代わりに、日常性の中に忍び込み、人々の意識の裏側あたりにそっと滑り込むのが得意であり、そこを通過する人たちに、小さな(とても短いかもしれない)アート体験=異次元体験を日々提供しているのかも知れません。

<自由な空間>

 次に、パブリックアートは意図されている、いないに関わらず、「開かれた空間」を作り出すということについて少し考えてみたいと思います。前回の記事でも触れたように、公共に開かれたスペース「公開空地」を作ることをもともとの目的として設置されたパブリックアートもありますが、そうでないものであっても、ひとたびアートが街に現れるとその周囲の空間がいわば「アートによって変容される」のではないか。パブリックアートの周囲での人々の行動パターンを観察すると、そんなことを想定してみたくなります。

 筆者がカナダのバンクーバーの目抜き通りにあるパブリックアートと人々の関係を一時間ほど観察した時に気づいたことなのですが、(偶然かも知れませんが)わざわざこのオブジェの前に佇んで携帯で長電話をしている人がいたり、歩いて来たカップルが、オブジェを眺めている様子は少しもないのに、なぜかそのオブジェの前辺りにふと立ち止まってしばらくおしゃべりしていたり、小さな子供連れの家族が、子供達がアートオブジェに登って遊んでいるのをのんびりと眺めていたりといった具合に、パブリックアートの周辺はどうもなんとなく居心地がいいらしいのです。道の真ん中やレストランの入口前には佇みにくいが、アートの周辺ならば誰にも文句を言われずちょっと時間を過ごすことができそうだということを、街行く人々は無意識のうちに感じ取っているのかも知れません。

(写真4)バンクーバー・ロブソン通りのミニ「自由空間」


 どうやらパブリックアートの周辺には、機能や目的別に区分けされた都市のさまざまな空間(例えば道路、喫茶店、商店、オフィスといった)とは別の次元の、用途のはっきりしない「自由な空間」ができるらしい。「アート」であるがゆえの一種の特権でもあるこの自由で用途不明な空間性の中に、都市の機能/目的空間からはみ出た人がふと逃げ込み、つかの間の時間を過ごす。美術館の中にあるアートのように崇拝されもしない代わりに、買い物帰りの主婦の休憩場所になったり、子供の遊び場になったり、なんとなく居場所のないカップルたちのおしゃべりの背景画になったりと、パブリックアートは都市を浮遊する人々に小さな自由空間を、意識に登らないほどの曖昧さと奥ゆかしさで提供していると言えるのかも知れません。

<わたしの都市マップのランドマーク>

 身近な場所にあるパブリックアートと聞かれて、ちょっと首を傾げてから「ああ、そういえば、あそこになんかあったような…」という人々の反応の裏には、意識の上では「透明化」してしまったパブリックアートが実はひそかに脳の中の各々の「わたしの都市マップ」の中に位置づけてられているということを示しています。それは待ち合わせをする時に、「あそこの通りのXXビルの前になんか赤いアートみたいなのがある、あそこの辺で」という具合に意識に上ってくる場合もあるでしょうし、また、たまたまそこを通り過ぎる時に、「あ、そうだ。ここの角にちょっと面白いモノがあるんだった」と思い出すくらいのものかもしれません。どちらにせよ、パブリックアートが人々の意識の底にある都市のイメージになんらかの彩りを添えているということは十分ありそうです。

 先に紹介した府中市の「童々広場」のレポートの中で、報告者は「私も以前自転車でここを通って毎朝駅に通っていたが…ふとした瞬間にこの童子達を意識することがあった…考えてみれば思い出の刻み込まれたオブジェだ。ちょうど桜の咲く頃に会社を辞め、スーツ姿でこの道を通るのも最後になるかもしれぬと記念撮影もした…」と、このアートが自分と街の歴史を結ぶ、記憶の中の特別な場所になっていることを知らせてくれました。
 アートを設置した側(行政や企業)の当初の目論みとしてのモニュメント性やアートプロパガンダといったものは「透明化」の中で人々の意識から消える一方で、パブリックアートが日々の生活の中に浸透し、みんなのなじみの場所となり、そこに暮らす人々が付与した「新しいモニュメント性」をじわじわと獲得していくこともあるのです。このように、パブリックアートはそこに設置された事情や意図を超えて街のランドマークになり、人々の都市のイメージに貢献しながら、人と街とを深いレベルで結びつけていく可能性も秘めていると言えるのではないでしょうか。


Vol.1 あなたの住んでいる場所の近くにあるパブリックアート
Vol.2 パブリックアートと人々の関係
Vol.4 パブリックアートとのもっと楽しい関係

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