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経済破綻したアルゼンチンの今

経済破綻の下での暮らしとは

leader from from
下平真弓
day
2003-12-04
 

経済破綻した国で、人々はどうやって暮らしているのだろう?

 日本から見て、地球のほぼ裏側にあるアルゼンチン。その首都ブエノスアイレスが『南米のパリ』と称されるほど、この国は他の南米諸国に比較して文化水準が高く、つい数十年前までは世界的に見ても豊かな国として知られていた。ある統計によれば、1920年代の1人当たり実質国内総生産額では、ドイツより若干高く、日本の約2倍を誇っていたという。『母をたずねて三千里』のマルコ少年の母が、母国イタリアからアルゼンチンへと出稼ぎのために渡ったのは1882年で、当時のアルゼンチンの先進国ぶりが伺える。

 しかし、2001年末、アルゼンチンは経済破綻を迎える。インフレが続いた80年代の後、1991年に1米ドル=1アルゼンチン・ペソ(カーレンシー・ボード制)とする固定相場制をとり、海外からの投資を確実に伸ばしたものの、ブラジルなどの経済危機のあおりを受けたのだ。

 預金封鎖、銀行前にできた長蛇の列、商店の打ち壊し、抗議デモ、道路封鎖、略奪などのニュースが連日報道されてから約2年。日本で、現地の今の様子を伝える報道はほとんどない。「南米を訪ねたいのに、なんか怖くて」という日本人も多いのか、南米全体で日本人観光客の数は激減したままだという。

 経済破綻となった国で、人々はどうやって暮らしているのだろう?そんな疑問を抱えながら、今年6月に現地入りし、各地を訪ねて集めた人々の声をご紹介する。

閑散とする観光地

 アルゼンチンに入る直前に、チリ南部の町プエルト・バラスで公務員をするマルシアさん(41)は言った。

 「わたしたちは、アルゼンチンのことをずっと下から見上げていたものよ。こうやって、小さく身を縮めてね。町がきれいで、ファッショナブルで、何もかもチリよりずっと洗練されてて、羨望してばかりだった。でも、経済破綻で逆転したのよ。ここにも、向こうからどんどん出稼ぎ者が詰め寄せているわ。少しはましになっているらしいけど、前みたいに戻るのはまだまだね。今じゃ、アルゼンチンっていっても、ハッ、って感じよ。まぁ、通貨価値が下がって、こっちから遊びに行くには安くていいけどね。」

 実際にアルゼンチンへと入国して早々、彼女の言葉を思い出して深く頷かずにはいられなかった。初めて泊まったバリロッチェのペンションが、一泊朝食付の料金が一人、15アルゼンチン・ペソ、日本円にしてわずか600円ほどだったのだ。湖畔に面したアルゼンチン屈指の観光地で、バスルームが付き、暖房が完備され、スプリングの効いたベッドからライティングデスクまで、すべて清潔感たっぷりの快適な一つ星(現地での評価)の宿で、経済破綻の前はその3倍ほどだったという。

 にも関わらず、2003年6月の時点で、海外からの観光客の姿は極わずかしか見られなかった。欧米各国で夏休みがスタートしていた時期で、以前ならばどの宿泊施設も満室に近かったという。これはこの町に限らず、ペリトモレノ氷河で知られるカラファテや、ブエノスアイレスでも同じだった。

 状況は破綻直後に比べれば回復の兆しは見えているとはいえ、いまだに20%近い失業率を抱え、社会的不安定を理由に外国人の足が遠のいているようだ。

盗まれる電話線

 「ああ、いまだに物騒だよ。ブエノスアイレスの町じゃ、強盗はもう日常茶飯事さ。特に外国人は狙われるから、気をつけな。」

 パタゴニア中央部の大西洋岸に位置する町、コモドロリバダビア郊外で出会ったトラックドライバー、ネストルさん(42)は言った。

 「おれの住むブエノスアイレス近郊の町でも、毎日あっちこっちで盗みが多発しているよ。でもまあ、前よりも少しはましにはなってきている気もするな。破綻した当時は、普通の泥棒だけじゃなくて、電話線まで盗まれたもんだよ。」

 「電話線?」と咄嗟に聞き返したわたしに、彼は力を込めて言った。

 「ああ、電話線っていうのは銅でできているから金になるんだ。1kgが3米ドルくらいで売れるんだと。みんな食うのに必死さ。おれも前は警察官だった。でも、大学生を頭に5人の子供を食わせるのにたった150米ドルの給料じゃやっていけるわけがない。だから、トラックの運ちゃんになったんだ。4、5日かけてブエノスアイレスからフエゴ島まで荷物を運んで、また4、5日かけてブエノスアイレスに戻る。大体1日だけ家で休んで、またフエゴ島に向かうんだ。だから10日に一回だけ家族の顔を見るけど、あとはずっとトラックで生活してるよ。そりゃ寂しいさ。でも、この仕事なら一ヶ月700米ドルになるからね。他の仕事じゃそうはいかない。だからこれでいいと思ってるよ。でも、何でも値上がりしているから、これでも楽じゃないよ。だからおれも、外国に出稼ぎに行こうかと今考えているところさ」。

+++


 そこで一拍おいてから、彼は続けた。「ところで、日本じゃどのくらい稼げそうかな?」

2003年6月の時点(為替レートは、1ドル=約2.8ペソ)での、アルゼンチンでの生活必需品の平均的な値段はというと、パン1kg=約1.6ペソ、チーズ1kg=約10ペソ、ドライサラミ1kg=約18ペソ、牛ひき肉1kg=約5ペソなどで、日本の物価からすると安価には見える。

 だが、預貯金の貨幣価値が失われ、失業して収入が全くないか、あるいはあっても大抵は月に100米ドルから200米ドルがせいぜいで、一般的な家族がまともに衣食住を営むことは極めて困難であろうことは容易に想像される。

 現に、全国民の約40%が、1日1人1ドル未満での生活を余儀なくされているといわれ、貧困層の割合が高い北部トクマン州では、2002年度一年間で18人の子供が栄養失調から死亡したとの報告がある。

 しかし、ネストルさんには仕事があり、しかも一ヶ月700米ドルという、現在のアルゼンチンでは破格の高給を得ているのだから、生活は決して困窮状態とは言えないはずだ。にも関わらず、彼が外国へ出稼ぎに行くことを望み、その目的地として日本を筆頭に挙げたのには、アルゼンチンだけでなく、南米全体で流布しているサクセスストーリーがあると思われる。

デカセギへ

 南米へ渡った日本人移民の歴史はすでに百年を超え、バブル経済でわいていた80年代後半から90年代前半には、かつて南米へ渡った日本人の移民その人やその末裔が、続々と日本へと出稼ぎにやってきた。

「日本で二年間、建設現場でびっちり働いてお金を貯めた。今はここに家も新築したし、子供はもう独立したし、この物価の安い南米で悠悠自適に余生をおくれるよ」1988年にアルゼンチンはブエノスアイレス州で出会ったある日系移民一世の男性は、ペットのチンパンジーを肩にのせながら、嬉しそうにそう語っていた。

 日系南米移民の日本への逆流現象が見られ始めた初期には、こういった話の当事者というのは、あくまでも一部の日本人に限られていた。基本的には、日本に長期滞在して正々堂々と就労するには、日本国籍を有し、日本語を普通に話せる日本人移民ということになる。

 ところが、1990年の出入国・難民管理法の改正により、日系三世やその家族など、日本語を話すことができない南米人も日本に出稼ぎにくるようになった。また同時に、日本で就労する目的で、日系人と婚姻関係や養子縁組などを行うケースも少なくなかったという。

 そんな中、本来なら日本や日本人とは何ら関係のなかった南米人が、ある日突然日本へ出稼ぎに行き、しばらく働いた後に帰国して故郷に錦を飾る。あるいは、帰国せずに日本に残り、恵まれた生活を送っている。といった話があちこちで囁かれるようになった。次第に、「日本へ行けば金持ちになれる」との説が南米全体に浸透していったと思われる。

 収入源がなく、栄養失調で飢餓に瀕している人々の場合、出稼ぎを考える余裕すらない。が、ネストルさんのようにまだ多少の余裕がある者は、お先真っ暗状態の自国経済に期待を寄せることは止め、より確実に将来の展望が持てる道を探っているのだ。確実に成長を遂げていた90年代の後の、200年に一度といわれる大破綻だけに、国民のショックも失望も大きいに違いない。

+++


 今年5月25日に新大統領に就任したネストル・カルロス・キルチネルの出身地、サンタ・クルス州の北西部、アンデス山脈の麓にある人口約7,000人の町カラファテ。近郊にはペリトモレノと呼ばれる氷河があり、アルゼンチンでも有数の観光地となっている。この町でホテル建設の労働者をしているある40歳代の男性は言った。

 「おれの家も家族もフエゴ島だよ。でも、全然仕事がないから、人のつてを頼ってここに出稼ぎに来たってわけだ。ここは、観光に力を入れていて今建設ラッシュだからさ。アルゼンチンの中では、一番景気がいいんだ。本当はさ、去年カナダに仕事をしに行くはずだったんだ。向こうで友達が仕事の世話をしてくれる目処がついて、こつこつと貯めた金で航空券も買ってあった。けど、カナダ政府が、『貧窮のアルゼンチンから来る者は不法就労する危険がある』ってことでビザをくれなかったんだ。それで仕方なくね。家族には、もう何ヶ月も会っていないし、来週の連休に行くことにはなっているけど、その後はまた半年間会えないよ。」

 労働者らしからぬ痩せ型のその男性は、骨っぽい肩を怒らせて大きなため息を吐くと、語気を強めはき捨てるように言った。「ここは資源も国土も何でもある豊かな国のはずなんだ。なのにいつまで経っても貧しいのは、政治家が泥棒ばっかりしてるからさ。こんな国なんか、くそくらえだよ、まったく」

 アルゼンチン北部にある、パラグアイと国境を接するミシオネス州の州都、ポサダスで、かつてお世話になったある日系二世の女性を訪ねた。すると、出てきたやはり日系二世のご主人は、たどたどしい日本語で言った。

「彼女はいないよ。今年の春に、日本に出稼ぎに行ったからね」
 二世とはいえ、実に流暢な日本語を話す彼女は、それまで務めていた日本語学校の校長の座を投げ、十五歳と十三歳の娘二人をご主人にあずけて単身で日本へと渡ったのだった


 夢と希望の国アルゼンチンへと、少年マルコが渡ってから121年。アニメの中で描かれていたパタゴニアを抜ける強風はそのままだ。けれど、人と富の流れは、完全に逆転してしまっている。それでも概して人々の顔は朗らかで活力が感じられるのは、過去に経た数々の試練で培われたたくましさ故なのかもしれない。


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