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子供の遊び場=「ハラッパ(原っぱ)」- ネカアランド計画 Vol.2

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高橋幸世 バンクーバー、カナダ
day
2008-06-11
 

子供世界の地図

 30年前にはどこにでもあったのに、最近見かけなくなったものー「ハラッパ(原っぱ)」。新興住宅地で育った子供の頃の記憶の風景には、「ハラッパ(原っぱ)」が茫洋と広がっている。雑草や小さな草花なんかが生えていて、足を踏み入れるや大小バッタが一気に四方八方に跳ね飛ぶ近所の空き地。「ハラッパで遊ぼうよ!」が子供の合い言葉だった。大人の目にはただの未開発の土地でも、子供世界の地図では、しっかりと「遊び場」マークが付けられていた場所。そこは、公共で公認の遊び場「公園」や、それの特別バージョンの民営の「遊園地」よりもずっと身近で、自由な場所だった。

 「ハラッパ(原っぱ)」には公園や遊園地にあるような遊具はない。あるのはだだっ広い地面。背の高い草、低い草。クローバーや名も知らぬ花。石ころ、砂、土。メンバーの顔ぶれ豊富な昆虫軍団。大きめの石の下にはいつでもダンゴ虫とミミズ。小さな行列を辿って行くと、蟻の巣発見。誰かがそこに置いたあからさまな遊具がない代わりに、季節とともに日々移り変わる遊びの素材が山ほど隠れていた。

 「ハラッパ(原っぱ)」では、頭の中の想像力の引き出しをフル稼働して遊びを発明したもんだ。花を摘んで、それを刻んで「おかずのつもり」。小さな石を並べて「お店のつもり」。大きな石は「テーブルのつもり」。何かを何かに見立てる力、人間にだけ与えられたこの不思議な能力を十分に引き出してくれる場所が「ハラッパ」だった。昨日テーブルだった石が、今日は鬼ごっこの陣地に変わる柔軟さ。遊びの素材のそれぞれはシンプルだが、バリエーションは無数。一つ一つの石、一枚一枚の葉っぱの形の違いや、晴れの日と雨の日の土の感触の違いと出会ったのも「ハラッパ」での遊びを通してだった。

忍び込む遊び場所

 「ハラッパ(原っぱ)」は公共の遊び場ではなく、時にはそれは「自然」と「住宅街」の境目にある場所だったり、またある時には知らない誰かの持ち物(空き地)だったりもした。自然の方に一歩踏み出したり、誰のものかわからない空き地にそっと入り込んだりするのは、ちょっとドキドキした。でも、子供たちはそこでクローバーを編んで冠を作ったり、蟻の行列の途中に舐めかけのアメを置いて様子を見たり、時には丈の高い草の奥に “秘密基地”を作ったとしてもたぶん叱られないことを、何となく知っていた。

 近所のおばさんが通りがかりに声をかけ、裏の家のおじいさんは、こっちを眺めてニコニコしながら庭仕事をしている。そんな風に「ハラッパ」の周りにはいつも少し距離を置いて子供たちを自由に遊ばせておいてくれる大人の目があった。監視ではなくて、目配り。子供は外で、ちょっと腕白に遊んでくれた方がいい、そんなスタンス。同時に、子供たちが度を過ごしてご近所に迷惑がかかるような時には、キッチリ叱りもするスタンスが「ハラッパ」を支えていて、子供もいつの間にか看板に書かれているわけではない暗黙のきまり(それを「常識」と呼んでもいいのだが)を身につけて行ったのだった。

 プライベートなウチの庭ではなく、オフィシャルな公園でもない、街の一部だけれど自然の匂いもする、その曖昧模糊としたところが「ハラッパ」の魅力だった。開発途上の街に意図せずに(一時的に)出現した宙ぶらりんのスペース。それは言ってみれば都市の「余裕」でもあった。意図せずに出現したものだったから、開発が進むと共にそれは自然と消滅した。その代わりに計画的に作られた「公園」やリッチな「遊園地」が出現したが、きれいに整備され、用途の決まった遊具が並べられた遊び場では「ハラッパ」での遊びのような想像力は必要とされないらしかった。

遊びを発明する場所

 実際のスペースとしての「ハラッパ」の消滅とともに、さまざまな形で子供の世界を彩っていた「ハラッパ的なもの」も消えつつあるのではないか、ふとそんなことに思い当たった。クリスマスにもらった流行のおもちゃが春には早くも部屋の隅に眠るのは、たぶん子供が飽きっぽいからというだけではない。決まった遊びを向うから提案してくる「公園」や「遊園地」みたいなおもちゃは、とっつきやすく、即座に強烈な楽しさを得られる代わりに、遊びを発明するという楽しさは与えてくれない。

 子供は遊びを発明するのが本当は好きなのだ。でもそのチャンスを与えてくれる場所にも仕掛けにも、いまどきなかなか出会えない。遊びを発明する力は使わないと退化する。先週もらったおもちゃにもう飽きている子供は、退屈だなぁと思いながらもいつしかその退屈さに慣れてしまうのだ。

 「ハラッパ」で遊びの想像力を鍛えられていた頃の子供にとっては、広告紙の裏側の白いページや輪の形につないだ一本の紐ですら、好奇心をかき立てる遊具に変身した。豊かになりモノが溢れる今日にそんなつつましい感覚を求めるのは無理かもしれないが、子供の遊び場やおもちゃをデザインする時に、「ハラッパ的なもの」というものさしは何かの役に立つかもしれない。例えば、よく話題になるコンピューターゲーム一つをとってみても、それが「公園的/遊園地的なもの」なのか「ハラッパ的なもの」なのかによって、子供たちの体験は全く違うものになるはずだ。

 「ハラッパ」は「公園」や「遊園地」よりも実は手がかかる。目的も用途も一つに固定しておらず開かれているのだから、デザインにも今までとは全く別のアプローチが必要になるだろう。そして、そこには雑草の花咲く元祖「ハラッパ」と同様、子供に干渉しすぎず、それでいて少し離れた所からさりげなく見守る大人の温かいまなざしが注がれていなければならない。子供たちが想像力をフル回転させながら、目をピカピカ輝かせて、誰にも指図されることなく世界とゆっくり出会っていく場所。そんな場所を絶やさないために、迷った時には蟻の行列や秘密基地を思い浮かべながら「…ハラッパ…」と呟いてみたい。そして誕生日プレゼントのおもちゃを買う時に、ほんの一瞬でもいいから「これってハラッパかしら?」と考えてみて欲しいのだ。


暗闇 -ダイアログ・イン・ザ・ダーク
ネカアランド計画 vol.1

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