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『演劇中毒』 Die Spielwutigen

ドイツ映画三昧 Vol.2

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伊藤 幸
day
2004-08-03
 

日本ではなかなか触れる機会の少ないドイツ映画。 でも、ドイツにはハリウッドに次ぐ規模の大スタジオもあったりして、映画産業は実はとっても元気。 私の住んでいるベルリンでは、個性的なミニシアターもまだまだがんばっていて、良質なインディー作品もきちんと上映されています。 このコーナーでは、そんなドイツ映画の「いま」を、私なりにお伝えしてゆきたいと思っています。

第二話

『演劇中毒』 Die Spielwutigen

――虚構と現実の往還者たち――

 

 プロローグ

 淡い静けさを湛えた湖の奥に、黒い人影が小さく揺れ、やがて水面に沈んでゆく。次の瞬間、びっしょりと濡れた金髪を顔中に貼り付けたあどけない少女の顔が画面を覆う。まだ二十歳(はたち)を出てはいないだろう。頼りないほど無防備でありながら、どこか凄みを湛えたその姿は、まるで、船乗りたちをその歌声で誘惑しては死の淵へと追いやるドイツ民話のローレライのよう。と、華奢なからだにはおよそ不釣合いな太く低い声が、のっそりと不思議なつぶやきを漏らす――。

 よろけながら中州へ向かった少女を追うカメラ。次のアップで、自分に就いて語り始めた少女を見て、ようやく観客は、先程のつぶやきが何かの芝居の台詞だったと気付く。間近に迫った俳優学校の入学試験に備え、彼女は一人、役作りに励んでいたのだ。

 「私には限界なんてない。どうして自分の感情に限界をつけなければいけないの?」

 それ自体、日常とはかけ離れた、エキセントリックな彼女の喋り方。高校を卒業したばかりのこの少女、シュテファニーをはじめ、彼女と同様役者を夢見る若者たち4人の俳優修行の日々を追ったドキュメンタリー映画 『演劇中毒』 には、そのまま芝居の脚本に使えそうな、こんな印象的な台詞があちこちに登場する。

 役者の卵たち

 今年度のベルリン映画祭でパノラマ観客賞を受賞した本作に、主役として登場する4人の若者たちは、いずれも強烈な個性を備えている。200人以上の候補者の中から、絞りに絞った配役だ。

 小太りの体、丸々とした赤ら顔、むしろユーモラスな全身の雰囲気の中で、太い眉の下、目だけが激しさを押さえきれぬかのように輝いている。ギリシャ系移民2世、プロドモスの、世界的な仕事をしたいという野心と、役者修行のためには恋愛を断念することをも辞さない熱心さは、しばしば空回りしてしまう。労働者階級という出自から来るコンプレックスとプレッシャーは、彼独特の極端な潔癖さにも繋がり、それはやがて指導官たちとの衝突という形で、彼自身を苦しめることになるだろう。

 意思的な黒い瞳と黒い髪、少女らしくない落ち着きを備えたコンスタンツェは、当初からもっとも期待されている学生の一人だった。幼い頃から、すでに役者になる決意を固めていたという彼女は、冷静な判断力と、果敢な鋭敏さを備え持つ天性の女優だ。ギリシャ悲劇の女王や、人生を味わい尽くした老婆など、年齢にそぐわぬ役ばかりを演らされる事にジレンマを感じながらも、それを受け入れることで、ゆるぎない自信を確立してゆく。

 ケルンで美容院を営むポーランド系の両親のもとで、愛情いっぱいに育ったカリーナは、一端舞台にあがるや、その愛くるしい外見からは予想もつかないエネルギーを放出する。敏捷な体、くるくると変わる表情、見るものをあきさせぬ華やかさと、それでいていやらしさのない明け広げな魅力を持つ彼女は、4人のうちもっとも気安い雰囲気をもつキャラクターだが、自分の職業に対する誇りと誠意は人一倍だ。

 そして、最初の受験にただ一人失敗してしまったシュテファニー。ベルギーの血も混じっている金髪碧眼の典型的な北欧美人だが、テンポのずれた喋り方のせいか、どこか鷹揚としたコミカルさがある。はらはらするほどの幼い自尊心と同時に、失敗にめげない粘り強さを発揮して、翌年には見事合格する彼女は、やがてイスラエル出身のジャズベーシストと恋に落ちる。恋愛を通して成熟してゆく彼女は、女優としても大きな成長を遂げる。この作品に描き込まれた唯一のロマンスであり、観るものにとっては最も美しいエピソードの一つだ。

 7年にわたる撮影期間

 映画は、この4人がドイツ屈指の名門エルンスト・ブッシュ俳優学校に入学し、厳しい修行期間を経て独り立ちしてゆく7年間の軌跡を丹念に追いつづける。その間、実に250時間分のフィルムが廻され、最終的に108分に収めるまでに、7ヶ月が編集期間に費やされ、完成はベルリン映画祭開催わずか二日前のことだったという。そのせいか、はじめてみたとき、とても2時間弱とは思えない重量感を感じた。3時間とも4時間とも、言われれば信じてしまいそうな重量感だ。

 恐らくこの重量感は、7年という撮影期間の長さだけではなく、この映画が自らに課した主題設定にも起因しているのだろう。ここには、10代の終わりから20代のほとんどという、4人のいわゆる青春期が、凝縮された形で記録されている。しかも、そこで彼らの日常生活が紹介される事はほとんどなく、もっぱら「役者」という職業を通じての彼らの成長に焦点が当てられているのだ。


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]『壁に向かって』 Gegen die Wand(独 2004年)
『兵士と女王』 Der Krieger und die Kaiserin
『泣く駱駝の物語』 Die Geschichte vom weinenden Kamel

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