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暗闇 -ダイアログ・イン・ザ・ダーク

ネカアランド計画 Vol.3

leader from from
高橋幸世 バンクーバー、カナダ
day
2008-11-24
 

明るいプラネタリウム

 久しぶりに、プラネタリウムを観に行って、ちょっとガッカリした。星を仰ぎながらどっぷりと暗闇の中に浸る時間を楽しみに出かけたのに、上映の最中、ドームの中が明るくなる瞬間がやたら多いのだ。デジタル式投影機の進出で、いまどきのプラネタリウムはデジタル映像を駆使したマルチメディアショーになりつつあるらしい。
 宇宙の起源を説明するCG映像や、飛び回って星の秘密を教えてくれるアニメキャラクター。まるでゲームのようなノリが子供達にウケるのだろう。でも、映像を映すプロジェクターの光でドームの中がとぎれとぎれに明るくなり、なんだか落ち着かないのだ。

 子供の頃、田舎の小さな文化センターにあったプラネタリウムは、不安になるくらい長い間、暗闇を楽しませてくれた。プログラムは季節ごとの夜空を日没から日の出まで追うだけのシンプルなもので、7月に行けば七夕のお話、冬に行けば、オリオンや北斗七星のお話が挿入されていた。
 ときどき、星と星とを白い線で繋げた星座の上に、ギリシャ神話風のイラストが重なったり、アンドロメダ星雲のスライドが四角く映し出されたりしたけれど、プログラムの中心は闇の中で無数の星に囲まれる体験だった。
 あの闇の中で、初めて宇宙に呑み込まれるような感覚を知り、宇宙の大きさと自分の小ささを知り、闇の向うにある未知なるものへの憧れと畏敬が芽生えたように思う。

 星の謎や宇宙の秘密を解説する科学教育教材としてのプラネタリウムは充実度を増しているのだが、暗闇の中でじっと星空に浸らせてくれる原初的な「闇体験」としての側面は、その分目減りしているような気がする。
 プラネタリウムの番組は、施設とは別個の制作配給会社が担当することが多いらしいのだが、プログラムをデザインする時に「闇体験」を一つの要素として含めてもらえたら、子供の心のもっと深いところに届く星空を創り出せるかもしれない、そんなことをちょっと考えた。

暗闇の効用

 プラネタリウムがまだ十分に暗かった当時、街のあちこちにも本物の闇があった。家の中は、日が暮れるとぼうっと暗くなり、台所や居間に電気を灯しても、家の隅々が完全に明るくなることはなかった。おばあさんが漬け物桶を置いている納屋の暗さ。そこに何かが潜んでいるような気がして怖かったが、暗さは無限の想像力ともつながっていた。霊界や魔界とも通じ合う闇の恐ろしさと包み込むような深さを体験することが、子供時代の一つのイニシエーションになっていたように思う。


 「闇体験」の目減りは、いろんなところで起こっている。目が痛くなるようなコンビニの照明に象徴されるように、都市は確実に明るくなり、日常の中で恐ろしいような暗闇に出会うことは少なくなった。でも、子供の「心の闇」は前よりもずっと暗く底なしになったらしいのだ。
 暗闇の向うにある、自分より何かもっと大きいものと出会わないために、それよりもずっと冷たい孤独な闇の中に転落していく・・・そんなイメージがふと浮かぶ。点けっぱなしのテレビや、ゲーム機のディスプレイの光で子供たちは巧みに闇を回避するけれど、それが途切れた時にはとても脆いのだ。

 暗闇の洗礼を受け、その奥にある精神的な世界としっかり向かい合うことができた時、闇は恐ろしいものではなく、むしろ安らぎに満ちたものとなる。闇を体験することを通してはじめて、光のありがたさも分かってくる。看板のネオンや、パソコン画面、携帯のディスブレイ。目を刺激する光はいやというほど周りにあるが、灯りのぬくもりに集うという風情の家族団らんは遠いものになりつつある。
 闇と光のバランスがたぶんどこかで崩れてしまったのだ。納屋の暗さやお寺の本堂の暗さに出会うことが昔ほど日常的でなくなった昨今、意識的に、ある程度の安全が確保された闇体験を創り出していく必要があるのかもしれない。

暗闇にもう一度出会うために(ダイアログ・イン・ザ・ダーク)

 暗闇に積極的に出会う場所として、『ダイアログ・イン・ザ・ダーク(Dialogue in the Dark)』
(http://www.dialoginthedark.com/)という催しが注目を集めている。80年代後半にドイツで始まり、その後ヨーロッパを中心とした多くの都市で開催されているワークショップ形式の展覧会で、日常的なさまざまな物が設置されている会場の中は真っ暗闇。その暗闇の世界を目の不自由なボランティアガイドの導きによって45分間ほど体験するという一風変わった趣向だ。この催しは日本でも1999年から毎年開催されており、常設展の実現に向けて準備が進んでいるそうだ。

 残念ながら日本でのワークショップはまだ体験していないのだが、90年代にパリで開催されたワークショップに参加したことがある。何人かのグループにまとまり、ガイドの声を頼りに進む。水の音が聞こえたり、いろんな手触りの壁があったり、彫像(らしきもの)があったり、闇の中をぐるぐると長い間巡っていく。初めは一歩前に進むのも怖くてたまらないのだが、次第に聴覚や触覚といった視覚以外の感覚が研ぎすまされ、最後には奇妙にリラックスした、瞑想の後のような心の平安に辿り着いたのが印象的だった。


 暗闇の中では、年齢や性別、顔つきや体格といった、視覚に依存した情報に基づくボーダーが消える。同時に、普段それが自分だと思っている体の輪郭すら消えてしまう。表面的な価値観から解き放たれ、まるで意識だけが漂っているような自由さが生まれる。暗闇の中では、ガイドや他の観客の声がやたらいとおしかった。はぐれないように体を寄せ合って進む人々との触れ合いが、むき出しになった魂同士の出会いのようにピュアで、温かかったのが、今でも忘れられない。

 暗闇をもう一度、意識的に生活の中に取り入れてみてはどうだろう。人里離れた山奥でキャンプするのもいいし、暗闇の中の展覧会に出かけてみるのもいい。もしそんな暇がなかったら、ちょっと電気を消して、暗闇の中で自分の輪郭が消えていくのを楽しんでみてもいい。電気を消して、暗闇の中でお風呂に入ってみるのも面白いかも(怪我をしないように!)。今夜はいつもより灯りを暗くして、子供にお話を聞かせてみよう。何か日常に欠けているものに気づくかもしれない。闇は想像力を引き出す魔法のキャンバスとしての力を今でも秘めているはずだ。


子供の遊び場=「ハラッパ(原っぱ)」- ネカアランド計画 Vol.2
ネカアランド計画 vol.1

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