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アートと大地と人の婚姻 -- 越後妻有『夢の家』宿泊記 その1 ヒトに効くアート vol.6

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高橋幸世 バンクーバー、カナダ
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2009-08-05
 

「現代アート」と「在郷」

 実を言うと、新潟県出身者でありながら、最近になるまで地元で開催される『大地の芸術祭・越後妻有アートトリエンナーレ』に足を運んだことがなかった。亡くなった祖母の言葉を借りれば「ざいご(在郷)」(=田舎)そのものであるような越後の奥座敷と先鋭的な現代アートとの間にある距離を、私の想像力はどうしても埋められずにいたのである。

 新潟県十日町市松之山上湯集落にある宿泊型アート『夢の家』*の噂を聞いた時も、製作者である旧ユーゴスラビアのアーティスト、マリーナ・アブラモヴィッチのイメージと、子供の頃に見た妻有の農村風景とのギャップに戸惑った。私にとってアブラモヴィッチと言えば「パフォーマンス界のマドンナ」。常に前衛で闘い、刺激的でちょっとアブナい活動をしてきた彼女と、雪深い松之山の素朴で実直な暮らしがどうやったら結びつくというのだろう。

*『夢の家』は2000年の第一回『大地の芸術祭』の際にオープンし、現在も恒常的に見学・宿泊が可能なアート作品。(冬期は不定期開館)



 今回、頭の中ではどうしても繋がらなかった「現代アート」と「越後の在郷の暮らし」が見事に結びついている現場を私は目撃し、深い感銘を受けた。以下は『夢の家』の宿泊記である。

アートに血を通わせる人々

 車は新緑の中を行く。傾斜のきつい里山の斜面には、農民の智慧の結晶である小さな「棚田」が階段のように続き、田植えが終わったばかりの苗が風にそよいでいる。冬には二階から出入りする程の豪雪に見舞われる厳しい気候の山里だが、初夏の美しさは格別。途中、日帰り温泉施設に立ち寄る。極楽。この辺りは日本でも指折りの温泉郷なのだ。

 少し道に迷いながら、夕暮れ頃に『夢の家』に到着。築100年を越す古民家を改修して作られたこの建物は、重厚ながら、なんとなく懐かしい感じがする。庭先には花が植えられ、隅々まで整えられて清々しい。前衛芸術の匂いはまだしない。迎え入れてくれたのは、笑顔の温かい集落の「おっかさん」。集落の有志数名が、当番で管理しているのだという。越後の山里風の素朴でほっこりとしたもてなし。現代アートに出会う時によく感じる「冷たさ」「そっけなさ」が、ここには微塵もなかった。

マリーナ・アブラモヴィッチ『夢の家』外観。 photo by ANZAÏ


 さて、そこまでならば、田舎の民家にお邪魔しているような、でもそれだけの体験だったかもしれない。ところが、担当の彼女が『夢の家』のコンセプトを説明し始めた時、私は正直言ってちょっと驚いた。アーティストの意図をよく踏まえて淀みない解説。そして言葉の端々に溢れるアートへの愛着と誇り。村祭りを守るようにアートを真摯に守っている人たちが、確かにここにいる。

 都会や外国から「よそ者」が到来し、集落の暮らしとは全く異質の「現代アート」を植え付けていったのが2000年。それから更に2回の芸術祭、計9年の歳月を経た今、アートが妻有の日常の一部として根付いただけではなく、アーティストの残して行った作品に血を通わせ、それを更に成長させているのはまさに地元住民なのだ、と今更ながらに知った。どうやらこの地で、ただ事ではないアートと地方の融合が起きているのを感じ、思わず襟を正さずには居られなかった。

 案内の女性が帰ると、広い古民家には私と友人の二人きりになった。折しも雨。昔話にでも出て来そうな、なんとも言えぬ風情の夕方である。古いガラス戸が風でガタガタ鳴る音も懐かしく、雨が小振りになると、今度は蛙の大合唱。注文しておいた仕出しの夕食を囲炉裏の周りで頂く。山菜。コシヒカリの御飯。美味。これだけでも泊まる価値があるな、と早くも思う。台所には昔の住人の残した神棚が祭られ、この土地と共に積み重ねられて来た時間の豊かさが空間に溢れていた。

妥協なき前衛との出会い

 『夢の家』は観客がそこに宿泊し、その夜見た夢を書き留めることを通して作品に参加する体験・参加型のアート作品である。この宿にはいくつかのルールがあり、ここでの「過ごし方」も事細かに決まっている。「話してはいけない」、「飲酒・喫煙しない」、「みだらな行為の禁止」などの禁止事項に始まり、着替えや、どうやって入浴するかまで、いろいろと注文が多い。

 『夢の家』の二階には、4つの「夢を見るための部屋」がある。それぞれ赤・紫・青・緑の色ガラスが嵌り、外光によって部屋の中がそれぞれの色に染まる。4つの部屋は広さも形もまちまちだが、どの部屋にも真ん中に「夢を見るためのベッド」が設置されている。このベッドは木製の箱で、頭の位置に石の枕が付いており、ベッドの底には、朝起きた時に夢を書き留めるための「夢の本」が収納されている。

マリーナ・アブラモヴィッチ『夢の家』-青の部屋。 神秘的な雰囲気の青の寝室。 photo by ANZAÏ

マリーナ・アブラモヴィッチ『夢の家』- 赤の部屋。この世とあの世をつなぐ乗り物のような夢のベッド。 photo by ANZAÏ


 「夢を見るためのベッド」は、どうしても「棺」に見えるし、石の枕はかなり固くて痛そうだ。この中で寝るのか…と思わずめげそうになる。でも、里山の温かなもてなしの中で出会ったのが、手加減も妥協もないピリピリした現代アートであることが逆に嬉しい。この家の歴史や、この家を守る人たちが本物ならば、中にあるアートも本物。神聖で真面目なアートの遊戯が神聖で真面目な古民家と里山にガチっと噛み合っている。

 指示通りに銅製の風呂に薬草を浮かべ、身を清めた。どの色にしよう。迷った挙げ句、「紫の部屋」で寝た。紫の部屋用の、紫色の「夢を見るためのスーツ」に着替える。あちこちに磁石が入っている。これも夢を見るための仕掛け。電球の薄暗い灯りの下で、迷子になった宇宙人のようなボディースーツに着替えながら、なんだか可笑しくなって独りで笑った。誰に頼まれた訳でもないのに、こんな奇妙な格好をして、これから棺桶みたいなものに入って私は眠る。あくせくした日常から遠く離れ、アートって何だろう、私は誰だろう、睡眠とは、夢とはなんだろう、などとぼんやり考えながら。

 里山の闇はどこまでも深く、100年もの歴史を持つ家に抱かれて、時空を超える宇宙船とも棺とも見える固い木箱の中で眠るのは、正直怖かった。怖いと同時に、その眠りはこれまでに体験した事のないような、特別に神聖なものでもあったように思う。

 一生のうちの一つの眠りを、注文の多いアーティストの手に委ねてみるのも悪くない。眠ること。夢を見ること。そんな何の変哲もない日常の行為が、アーティストによって縁取られ、新しい体験に生まれ変わる。お喋りせずに沈黙の中に佇むことがどんなに難しいか。本当の闇の中に身を横たえることが、どれほど恐ろしく、また神聖なものであるか。生と死、意識と無意識の間を行き来する「眠り」という行為が、いかに神秘的なものであるか。『夢の家』は、そんな当たり前のことを、改めて(ひょっとしたら初めて)体験させてくれる場所なのである。(つづく)

(写真提供・『大地の芸術祭』事務局)


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