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ボーダレス・アートミュージアムNO-MA ~「障がい者アート」を超えて~

日本のアウトサイダーアート

leader from from
三沢健直 松本市
day
2009-12-15
 

アール・ブリュットから近江八幡へ

 スイスのローザンヌに、アール・ブリュット・コレクションを訪ねたのは、もう15年前になる。美術の専門家でもない私も、フランス滞在となれば、美術館を廻ってロマン派や印象派の著名な絵画を見て廻るのは、ごくありきたりの過ごし方だった。そのような観光の途中で見た、アール・ブリュットの作品は、著名な作品とは違って、この私が住むのと同じ、この世界で作成された作品であるように感じた。そして、「これこそがアートである」、と私は思った。

 2008年7月、アール・ブリュットの作品が日本を訪れると知って、久々に本物のアートを見に行こうと出かけた東京の汐留ミュージアムで、日本にも同様の作品と美術館があることを知った。それ以来、気になっていた滋賀県近江八幡市にある日本のボーダレス・アートミュージアムNO-MAを、今年の10月に訪ねることができた。

 NO-MAは、近江八幡市に多く残された古い木造の民家の一つを改築したもので、雨が降っていたせいもあるが、しっとりとした雰囲気に包まれていた。1階は床と天井をはずして広々とした雰囲気で、2階は畳部屋になっており、その一隅で、井上多枝子ディレクターのお話を伺った。

ボーダレス・アートミュージアムNO-MA入口

二階展示室


 ちょうど「第6回滋賀県施設合同企画展ing~障碍のある人の進行形~」の開催中だった。献立表を模造紙一杯に書いて並べたものや、紙で作った四足の動物が並んでいるもの、紙の棒に紐を繋げた何かの道具のようなものや、解れた生地がぶら下がっているもの、車の標識ばかり描いた葉書サイズの絵などが展示されている。中には、「展示」されていなければ、作品として見るのが難しそうなものも少なくない。

信楽と障碍者アート

 アウトサイダー・アートは、知的障碍者の作品に限らず、誰かに学んだ経験もなく歳をとってから何かを作りはじめた人の作品なども含む。ただし、この日は入所施設の合同展示会で、知的障碍のある人々が作った作品が並んでいた。NO-MAは、滋賀県の社会福祉事業団が運営している。

 滋賀県は、障碍者アートに関して古い歴史があるそうだ。滋賀県の信楽では土が取れる。土をいじる作業は知的障碍者にとって難しくない。さらに自己表現を通じての教育的な効果や、クオリティ・オブ・ライフの向上も期待される。戦後、いち早く設立された入所施設で、土いじりが始まった。土をいじるだけの場合もあれば、焼いてくれる場合もあって、焼かれたものは今でも残っているそうだ。

 90年代には、奈良県の「たんぽぽの家」を中心にエイブル・アート・ムーブメントがあった。この頃から、障碍者アートという存在が、障碍者にとってだけでなく、社会全体の価値観を問い直すようなものとして再評価され始めたという。

 近江八幡のボーダレス・アートミュージアムNO-MAは、そのような滋賀県の歴史の中で生まれた。大学教授や学芸員など、およそ30名のメンバーが設立に向けて議論を重ね、そこに井上さんも参加していた。井上さんは大学で美術を学んだ後で信楽の入所施設に勤め、6年間、全国で展覧会などを開催してきた。

障碍者とアート

 井上さんは、アウトサイダー・アートの調査研究のために、全国の病院を廻ることもある。病院のベッドの下などに、溜め込んだ絵が、ゴミのように取り残されていることがある。ある施設で、トイレットペーパーで冠や服などを作っているお婆さんがいた。硬い材料であれば作品として残るのだが、トイレットペーパーでは作品として世に残すのは難しい。本人にも作品という意識が無いので、大切に扱わない。ピンで穴をあけてしまったり、セロハンテープで壁に留めてしまったりするので、作品がすぐに痛んでしまうという。

 あるとき、300冊のノートに作品を書き溜めた人が居ると言う話を聞いて、勇んで施設を訪ねたところ、訪問した1ヶ月前に、すべて燃やしたと言われたそうだ。なぜそんなことを?と問うと、「本人の許可は取ったから」という答え。本人にも、施設の職員にも、その面白さを残そうという意識がなかったのだ。

共同展示会の楽しみ方

 訪れた日の共同展示会は、年に一回、滋賀県の約20の施設が作品を持ち寄って開催している。ここで面白いのは、「そもそも、これは作品なのか」、というところから議論を始めることだ、と井上さんはいう。日頃美術に親しんでいない福祉施設の職員は、ガラスケースに入れるだけで見え方が変わることに驚く。どう展示するか、と試行錯誤するうちにスキルが上がっていくという。

 「これは作品なのか」という問いには、それを問う自分自身を見つめ直す契機が含まれる。何かを「作品」として見る私たち自身の視線には、作品と作品以外を区分する無意識の働きがある。その「区別」は、どのように行われるのだろう?いつから、どのようにして私たちの内に在るのだろうか?

 展示会の方向性は、「これは作品なのか、というところが、面白がれるかどうか」になってきたと井上さんは言う。「すでに美術の枠に、はまらない」と。確かに、オーソドックスな美術とは違うかもしれない。ただ、著名な美術館に陳列される作品を見て、「これが、この私の世界の作品」と感じないのは、そこに自分自身を見つめ直す契機が含まれないからかもしれない、とも思った。

作品の生まれ方

 入所施設の中で、アトリエ活動があるところは恵まれているそうだ。紙も絵の具もある。ただ、お互いの真似となることもあり、その結果として、アトリエごとの独自な特徴が出やすい。その特徴の中で面白く作れる人も居れば、人前では真似しておいて、隠れて描いている自分独自の絵が面白い人もいる。

 作品の生まれ方も人それぞれだ。作業所に通う道すがら拾い集めたいくつかのゴミを、セロハンテープを使って不思議な形で繋ぎ留めている人がいた。作り始めた理由は、自分が集めたゴミを施設の人に捨てられないためだった。あるとき、それがアート作品として認められて、周りの人が作品の材料にと、ゴミを渡すようになったら、作るのをやめてしまった。

 イクラ模様のパジャマをつくる人がいる。絵の具で作るので、ベッドが汚れてしまう。スタッフが夜になると脱がせ普通のパジャマを着せるのだが、夜に着替えてしまう。ある展覧会で優秀賞を取ったので、パジャマをマネキンに着せて展示したところ、剥ぎ取って帰ろうとしたそうだ。優秀賞などに、興味はないのだ。「エピソードが面白い」と、井上さんは楽しそうに笑う。楽しいエピソードには事欠かない。

井上多枝子ディレクター


販売することについて

 「これは作品なのか」、というものがある一方で、東京のイベントで展示されたような作品は、明らかに高度なレベルまで達していて、買いたい人も居るのではないかと聞いてみた。もし作品の販売ができれば、知的障碍の方の所得向上に役立つのではないかと思ったのだ。

 井上さんによれば、ニューヨークには、アウトサイダー・アート・フェアというイベントがあって、やはりコレクターがいるそうだ。日本の福祉施設でも、ニューヨークのギャラリーと契約しているところもあるらしい。その場合には、売れた額の何割かは本人に入る。

 ただし、と井上さんは言う。本人に何割か入るのは良いほうで、中には契約書も無いようなケースもある。また、障碍者には、生活保護を受けている人も少なくなく、中には家族がその資金をあてにしているような貧しい家庭もある。現状では、作品の販売は本人に還元されないこともある。今のところ、展示会などでもお客さんから本人に直接連絡が取れないように気をつけているそうだ。NO-MAでは、アーティストとしての評価が確立されることに主眼を置いている。

 販売には別の問題もあるそうだ。売れると作風が変わる人が居るという。売れるため、褒められたいため、それで作風が変わってしまう。「良い絵とは何か」という発想=迷い、から自由でいて欲しいと井上さんは言う。どのタイミングで鉛筆を渡すべきか。終わりのタイミングをどうするか。そのような微妙な環境作りの中で生まれる作品もある。その環境を壊してしまうことを、むしろ懸念している。アウトサイダー・アートは、単に「障碍者のアート」ではない。アウトサイダー・アートは、人の営みをそのまま見せることに近い、と井上さんは感じている。

 もちろん、販売をまったく否定するつもりはないという。本人に十分な還元がされるような形で、ギャラリーと仲介することを模索している施設もあって、頑張っていると評価している。

ボーダレス・アート

 私が訪れた日は、たまたま知的障碍の方の作品だったが、実はNO-MAでは一般のアーティストの作品と並列して並べることが多い。設立当初は、森村泰昌に参加してもらったこともあるという。WEBサイトを見ると、NO-MAの特徴は、『一般のアーティストの作品と共に並列して見せることで「人の持つ普遍的な表現の力」をリアルに感じていただくところ』だと記載されている。

 まさにこの「普遍的な表現の力」が、「これこそがアートだ」と、かつて私に感じさせたような力だと思った。その力は、「これらは皆アートだ」という驚きと共に発見される。井上さんは以前、ネパールやインドの普通の家々に転がり込んで、普通のおばさんが作った「作品」を見て廻ったことがあるそうだ。それはまさに「普遍的な表現の力」を探す旅だったのだろう。

 さらにサイトには、『「障碍者と健常者」「福祉とアート」「アートと地域社会」など、様々なボーダー(境界)を超えていく』とある。「これは作品なのか」という問いが、作品とゴミとのボーダーを巡る問いだとすれば、「これらは皆アートだ」という発見は、アートと美術品とのボーダーを巡る問いなのかもしれない。

二階展示室


今後のこと

 当初このミュージアムは、ギャラリーと名乗っていた。ミュージアムとは、作品を半永久的に保管できる施設のことを指すからだ。しかし、多くの作品が病院のなかで作られ、捨てられていく現状を変えるために、マンションの一室を借りて保管作業を始めた。作品の寄贈も増えている。しかし、保存事業はなかなか進まないそうだ。一般のアーティストは、残すことを考えて材質や制作方法を選ぶものだが、アウトサイダー・アートは違う。残すことなど考えていないので、保管は非常に難しい。常設展を開くなら24時間の湿度管理も必要だ。

 しかし資金は潤沢ではない。イベントなどの資金は日本財団や福祉医療機構から助成を受けているが、運営自体は滋賀県社会福祉事業団が行っている。そして、今や政府や自治体の財政難である。ボーダレス・アートミュージアムのような存在が活動を広げていくために、私たちにできることは何だろうか?

 施設のネットワークも大切だと井上さんは言う。2009年2月に、大津で、アメニティ・ネットワーク・フォーラムという地域福祉に関するシンポジウムが開催された。北海道から沖縄まで20の施設が集まって、寝ないで議論を行ったのに、次の日も朝まで話し合っていたそうだ。アートに関するパートは一部だが、それぞれのスタンスの違いを認識しあって自らの方針を確かめたり、情報交換を行ったりしている。一般参加可能な部分もあるようだ。

 現在は、2010年3月7日(日)まで、「この世界とのつながりかた」という企画展を開催している。さらに、来春の2009年3月-9月にはパリのモンマルトルの近くで、日本のアウトサイダー・アート展を行う予定だ。64人の作品を一挙に展示する。訪問したときは梱包作業の真最中だった。パリの後はウィーンを予定しているとのこと。これを機会に、さらにアウトサイダー・アートが日本社会に認知されることを期待したい。

 最近、美大の学生がよく質問にくるという。どうすれば、そういう道に進めるか、と。井上さんは美大の出身だが、施設に勤めていた母親の影響で福祉の世界に進んだ。もともと児童美術が好きで、そこから障碍者美術へ進んだのは自然だった。しかし美術の世界では、アウトサイダー・アートに関する関心は薄かったようだ。以前は美大でも関連する講義はなかった。しかし最近は変化の兆しが見えるらしい。美術の世界からこの世界に進む人が増えそうなのは楽しみなことだ。

 近くの人は、ぜひ一度NO-MAを訪ねて欲しい。アウトサイダー・アートを見ること。それは、私たち自身がアートを取り戻すことだと私は思う。


アートスペース・エクルにて/アウトサイダー・アーティストに出会う

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