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宗教とスピリチュアル(ニューエイジ)

クリティカル・シンキングを求めて Vol.2

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三沢健直 松本市
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2010-05-20
 

 前回述べたように、非合理な判断は偏見や差別に繋がることがあるし、オウムのようなカルトに騙される危険もある。しかも、人間の認識には、「認知バイアス」という傾向があって、誰しもが、知らないうちに非合理的な判断をする可能性がある(Vol.1を参照)。だから「認知バイアス」のような知覚や心理の傾向について学び、少しでもそれから自由になる修練が必要だ。

 とは言え、「非現実的な話」や「異界の話」は、人間の想像力が常に新しいイメージを生み育む揺籃であり、もしそれが社会から無くなったら、逃げ場のない日常がいつまでも続く、のっぺりとした耐え難い社会になってしまいそうだ。非現実と現実は、「あの世」と「この世」のような様々なバリエーションとして、常に表裏一体であり、「この世」だけ残すことなど不可能だ。

 今回は「あの世」との付き合い方としての宗教について、特にキリスト教について考えてみた。

非合理との距離感

 血液型によって性格が異なるという話を、本気で信じる人がどの程度いるか分からないが、嘘でも話題として面白ければ良い、という人は少なくない。占い各種も同様で、嘘でも励まして貰えれば有難いし、「良い占い」だけ信じる、という話も良く聞く。

 テレビを見ると、以前はUFOや心霊写真などのオカルト番組が多かったが、オウム事件以降は、その反省もあってか、ややソフトなものに変わったようだ。江原啓之のスピリチュアルというのは、昔ながらの占い師と同じに見えるので、「良いご宣託」のみ聞けば良いのだろうし、最近流行の「スピリチュアル・スポット」は、奥深い山中の滝や巨木など、「神秘的な気持ちになる場所」の同義と考えれば、特に非合理ではない。

 しかし、江原啓之の「霊視」を本気で信じる人がいたら、やはりまずい。スピリチュアル・スポットも、「なぜか神聖な気持ちになる場所」であれば良いが、「神秘的な磁場の場所」のような文学的な表現を経て、「科学では理解できない磁場が身体に作用する」という表現になると、これは非合理=ニセ科学の領域だ。

 「スピリチュアル・スポットに実害はない」、かも知れないが、もし裁判官にニセ科学を信じる人がいても大丈夫だろうか?もし被疑者が、「悪意のあるスピリチュアルな磁場が自分に作用した」などと証言したとしたら?さらに、それを肯定する証人が次々と現れたとしたら?

 やはり、裁判官がニセ科学を信じる人だったら問題だ。証拠調べは科学的に行われる必要があるし、非科学的な証言を採用されては困る。話は裁判に限らない、医師が非科学的な治療を行ったり、教師が非科学的な説明を教えては困る。

 ところで、裁判官や医師や教師が、キリスト教や仏教を信じる人だったらどうだろう?穏当な宗教なら問題ないと多くの人が思うのではないだろうか?そもそも信仰のある人を排除したら、これらの職業に就ける人の数が大幅に減ってしまうし、思想や信仰は自由であるべきだ。

 とは言え、キリスト教でも輸血や進化論を否定するような過激なものは困る。どうやら信仰と科学とに上手く折り合いがつけられるか、という線が社会的に許せるボーダーラインになりそうだ。しかし、元々すべての宗教には非科学的な面があるのに、なぜ穏当な宗教は科学と共存できるのだろうか?

スピリチュアルとニューエイジ

 スピリチュアルでも宗教でも、科学と折り合いのつくものであれば問題はない。しかし、近年流行のスピリチュアルは、なぜかニセ科学と親和性が高い。スピリチュアルは、霊視や霊感・先祖の霊といったタームから古代アニミズム由来のように見えるが、現在の流行はアメリカの70~80年代に流行したニューエイジ思想が輸入されたものだ。日本ではスピリチュアルとニューエイジは、ほぼ同じ意味で使われている。

 ニューエイジには様々な思想やグループが混在するが、西洋的な物質文明と消費社会を批判し、仏教やネイティブ・アメリカンの思想などの脱西欧的な精神文明を重要視する点、さらに「宇宙との一体化」など環境と調和した社会を求める点で共通している。具体的な方法としては、チャネリング(霊媒)、催眠療法、パワーストーン、心霊療法、レイキ、ヨガ、代替医療各種、自己啓発などが含まれる。心身の健康法からオカルトまで雑多なものが同居している。

 ニューエイジの一部は、90年代の日本には自己啓発セミナーやカルト的な新興宗教の形で入っていたが、2000年代に入ると、消費社会への批判やエコロジー運動などを介して、オーガニック食品や自然食品などを好む人たちの間に、燎原の火の如く広がっているように見える。早晩、裁判官、医師、教師などの間に、非合理的な思考が大規模に広がる可能性がある。この規模は、オウムなどのカルトの比ではない。

 繰り返すが、ニューエイジを実践する人のすべてが非合理なのではない。単に心身の新しい健康法として実践する人も多いし、非科学的な思考とは適度に距離を置きつつ、面白きこともない「この世」を面白くするために、利用する人も少なくない。カルトのような危険性は低いものが大半だろう。

 しかし一方では、どっぷり非合理的な思考に染まる人たちもいて、もはやオカルトの域に入っていても当人に自覚がないこともある。これらのオカルトは、宗教の顔をしない代わりに、科学や健康法の顔をしている。

20代男女の意識を1973年と2008年で比較したところ、「奇跡を信じる者」は、15%から36%へ、「あの世、来世を信じる者」は、5%から23%へと大幅に増加している。(出典:シンプル族の反乱/三浦展著、KKベストセラーズ-p53)


宗教とスピリチュアル(ニューエイジ)の違い

 宗教とスピリチュアル(ニューエイジ)は、重なり合う部分もあるが、かなり異なったものだ。たとえば、スピリチュアル(ニューエイジ)は、人々に幸福になる方法を教えるが、キリスト教や仏教などは、その教義の中心に「幸福の断念」が含まれる。

 あらゆる苦しみからの解放を目指す仏教では、煩悩こそがあらゆる「苦」の原因であり、「煩悩からの解放」こそが「苦しみからの解放」すなわち解脱だと考える。そして煩悩の最たるものが幸福を願う気持ちなのである。煩悩からの開放とは、幸福の断念のことであり、時に「諦念」として現れる。諦念とは、文字通りすべてを諦めること。すべての希望を捨て去ること。それは絶望の後でようやく到達する救いの場所なのだ。

 一方キリスト教の教義の中心には、「愛」がある。「愛」とは「すべてを受け入れ、肯定すること」である故に、相手に対する希望をすべて諦めた後にしか到達できない救いの場所だ。

 それゆえキリスト教の祈りは、神への感謝を基本とする。これはイスラム教も同様だ。ニューエイジ系の「代替医療」では、ある種の「念」や「エネルギー」を通じて病を治そうとするが、敬虔なキリスト教徒の「祈り」は、病を得たことで学んだこと、病を通じて触れた人々の優しさを、神に感謝するものだ。

 スピリチュアル(ニューエイジ)は、人々に希望を与える。それ故に、様々な商品とも結びつきやすい。健康になるための様々なグッズや技法が、ロハスという心地よい言葉と共に消費されている。霊感商法とも結びつきやすい。

小倉和三郎 牧師との対話

 そのようなことを考えながら、昨年の秋、日本基督教団の牧師を長年勤められた小倉和三郎師を訪問し、「キリスト教における非合理」についてお話を伺った。小倉牧師は、肺がんと大腸がんを同時に切除されたそうだが、お元気そうで、お陰さまで、お話を伺うことができた。

三沢:「最近流行の『スピリチュアル』をどう思われますか?」

小倉:「YMCA(キリスト教青年会)の三角形をご存知ですか?それぞれの角は、Spirit(霊性)、Mind(知性、感覚)、Body(物質)です。お話の『スピリチュアル』は良く知りませんが、今聞いた限りでは、BodyとMindしかないように感じました。

 最近のキリスト教は、ホスピスでの活動を重視しています。どう終わりまで生きるか。どうすれば、最期のときを平安に過ごせるか。永遠の命を得られるか。死に行く人の拠りどころになろうとしています。

 キリスト教の祈りは感謝することだと仰いました。しかし、自らが死に面したときに感謝することができますか?感謝できないことを感謝する。その力はどこから来るのでしょうか?そう考えるとSpiritしかないのです。祈りとは、Spiritとの対話です。

 今までの自分ではだめだった。『そうではない』と気がつかされる。向こうからやってくるものです。キリスト教のスピリットとは、ある種の啓示として現れるものです。」

ヒーリングについて(次頁) 
  


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「考える力」、そして「生きる力」を育成するには/アメリカのリーディング教育
クリティカル・シンキングを求めて Vol.1

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