reports

東日本大震災

back
prev_btnnext_btn
title

福島県相馬市からのレポート

leader from from
草野友紀子 福島県相馬市 草野友紀子 福島県相馬市
day
2011-03-26
 

 3月11日に東北関東大震災が発生した。その後、東電福島第一原発における水素爆発などによる放射能の被害から逃れるために、地震や津波で直接影響を受けなかった住人も、原発から20km圏内は避難、20~30km圏内は自宅退避という状況におかれている。福島県相馬市に住む私の先日のスクリーニング(簡易検査)結果は通常の数値であった。

 3月22日午前6:30現在の放射能レベルは、1.2マイクロシーベルトと相馬市は発表している。健康には害のない値らしい。

 一方、すぐ隣町の南相馬市の一部は東電福島第一原発から20~30km圏内にあることから、その圏外にあたる南相馬市の住民も、屋内退避や避難をしている人が少なくない。
 
 私の住む相馬市は、福島第一原発から約40~50km圏内にあり、現在まで避難・退避命令はでていないため、自宅退避地区にある南相馬の小高から相馬市に避難してきた人がいる。

「おらの孫は、双葉の高校さ通ってんだけども、やっぱり相馬には双葉の学校の情報はねぇどな。入学式あんのかなって見てたんだけど。」(注:県立双葉高校は南相馬市にある)

 先日、南相馬市小高区から来た人々がいる避難所に立ち寄った際に、情報掲示板を一緒に見ていたお年寄りが私に話しかけてきた。私の家のテレビでは、学校情報がL字情報で流れていたが、この避難所では、避難者が四六時中テレビの情報を見られるわけではないのだろう。

 避難所によっては必要な物資、ライフラインの状況が異なり、生活に差が出ていることが指摘されつつある。実際相馬市ではどうだろか?

 私は3か所の避難所に立ち寄った。ひとつは設備の整った体育施設、もうひとつは新築の小学校だったが、そこには「満員」「南相馬からの人は旧女子高へ」との案内が貼ってあった。つまり、相馬市民とそれ以外の人々という避難所の区分けがあるようなのだ。

避難所の張り紙


 旧女子高は築30年以上の建物であり、私が通っていた学校でもある。体育施設と小学校に比べ、明らかに古く、寒い。冷たいコンクリートの床の上にブルーシートを引き、布団で横になっているお年寄りがいたが、これでは夜はかなり冷える。床から冷気が伝わるはずだ。一方、体育施設には柔道用の畳が張ってあり、入浴施設も更衣室もあるが、旧女子高にはない。

 小高地区から来た一家が、家に入浴させてほしいと訪ねてきたことがある。「それまでは体育施設にいた。あそこは暖かかったし、風呂もあったけれど、ここは相馬の人しか使えないって出された」そうである。

 被災者が、避難所閉鎖や放射能の影響による退避地区の変化などで、避難所を転々とする状態にあったこともテレビの報道で見ていたが、地元市民とそれ以外という区別によっても同じことが起きている。

 確かに、自治体が避難者の人数や状況を把握するためにも、また地域の繋がりを守るためにも、地域ごとでの避難が必要であるといった、妥当な理由はある。また、現実に即してみれば、避難所は現時点でも満員の場所が多くあり、しかたないのかもしれない。

 しかし、満員であるという理由以外に、相馬市民でないという理由で別の避難所に移動する例もあったことは、同じ被災者という観点から見れば理不尽な区分けであり、残念だったのではないだろうかと思った。

3月17日の相馬市

家の前に船

海に家が浮いている

打ち上げられた魚

割れた道路

津波だけでなく地震の被害も大きい

これも津波ではなく地震の被害

道路の脇に船


このエントリーをはてなブックマークに追加





クリエイティブ・コモンズ メンバー募集 メルマガ 受託型リサーチ レアリゼブックストア サポーター募集 twitter mixi face Flickr