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デモのできる社会とは、どんな社会か

迷惑について、倫理について

leader from from
三沢健直 松本市
day
2011-09-12
 

 今年の夏は、原発事故の影響で、駅や街の照明が暗くなり、フランスに住んでいた頃を懐かしく思い出した。フランスに限らず、ヨーロッパの夜間の照明は総じてこの程度であり、日本の都市の夜の明るさと、電気の無駄遣いが異常だったに過ぎない。

 電車のクーラーも同様だ。東京の暑い夏の日に、半袖・半ズボンで電車に乗ると、寒くて凍えなければならない。そのために、人々は長ズボンをはいて上着を持って出かけるのだ。誰もがそれを異常だと感じながら、それを変えようとする力がどこからも出てこなかった。凍えるような夏の電車それ自体よりも、誰もが異常だと感じながら、それを変えようとしない社会のあり方が、むしろ日本社会の特徴かもしれない。

ソーシャルメディアと大衆の意思表示

 大震災と原発事故で印象が薄れてしまったが、それらがなければ、今年は中東の独裁的政権がデモによって打倒された年として記憶される筈だった。そこで大きな影響力を発揮したソーシャルメディアは、日本でもその力を発揮した。6月11日には、日本でも全国一斉に脱原発デモが行われ、数十万の人々が路上を行進した。*

 日本の「デモ」は、欧州のデモと比較すると、異常なまでに警察の規制が強く、欧州の感覚で言えば、「日本ではデモは禁止されている」と言っても過言ではない。60年安保反対運動の影響力に直面した自民党政権の、大衆による意思表示に対する恐れが、今日も引き継がれているのだろうか。当時はデモに参加する側だった社会党の一部が民主党の結成に参加したことを考えれば、民主党政権が成立した今日、デモに対する規制が欧州並みに緩和されても良い筈だが、その兆候はまだない。

 しかし日本のデモを禁じているのは警察だけではない。欧州では、車両がクラクションを鳴らして、デモ隊への連帯の意思表明をすることが珍しくないが、日本のデモは、周囲の人々から切り離されて、まるで別世界のように平行して交わらないように見える。警察はデモ隊に対して、「車両や通行人に迷惑をかけないように歩いてください」と呼びかける。周囲の人も、迷惑をかけられていると感じる。日本には自由と平等はあるが、Solidarité=連帯は存在しないのだろうか。

5.28ベルリンの脱原発デモ(路上でコンサート)(Photo 山本)

5.28ベルリンの脱原発デモ、デモというよりは野外フェスという感じ。雰囲気もすごく平和的。(Photo 山本)

6.11渋谷のエネシフパレード、平和的なパレードなのに、警察の指示通りにしか歩けない。まるで中国。

6.11渋谷のエネシフパレード。デモを一定の人数で分断して管理する警察。ほぼ中国。


迷惑について、倫理について

 人に迷惑をかけることを、日本人は極端に恐れている。大震災の直後に、マスメディアは、「自己完結できないボランティアは現地に迷惑をかけるので、被災地に入るな」と繰り返し呼びかけていた。しかし、全国のエコツーリズム団体や自然学校などがネットワークして立ち上げたRQ市民災害救援センター事務局長の広瀬敏通氏は、一貫してこのことを否定し、「サンダル履きでもやることはある」と言い、とにかく被災地に来るように呼びかけ続けていた。

 私は、7月上旬になってから5日間だけ、RQの登米市のボランティア・センターに滞在してボランティアを行った。センターでは、毎日100人を越えるボランティアが滞在しているが、すべてがルール化されていて、スタッフが常駐していない。長短の差はあるが、全員が短期ボランティアなのだった。

 にも関わらず、やる気さえあれば、2~3日の初心者ボランティアでも時間を無駄にせずに作業を行える体制ができていた。もちろん、最初から上手くルール化されてはいなかっただろうが、ルール作りも含めて、多数の短期ボランティアたちが知恵を出し合って自ら創り上げたものだ。

 全社協の調べでは、震災発生後一ヶ月のボランティアの参加人数は、阪神が62万人に比べ東日本では10万人に過ぎなかった。発生後4ヶ月時点でも、阪神が117万人に比べ東日本では、ようやく54万人である。原発事故の影響や、震災によって主幹交通網が遮断されたことを考えても、今回の大震災におけるボランティアの参加人数は、阪神大震災の半分に過ぎない。あまりに少ないのではないか。沿岸地域では、ボランティアの仕事はまだ山ほどある。

 阪神大震災にボランティアとして参加した人へのアンケートでは、84%が「自分のやるべきことが分かった」と答えている。仮に残りの16%が迷惑をかけたのだとしても、失われた50万人の84%がやるべきことが分かったのなら、復興への大きな力になっていた筈だ。

 マスコミは復興が遅れているとして政府を非難し続けていたが、ボランティアに対して「被災地に来るな」と言い続けた自らの責任は、検証する機会があるのだろうか?

 そもそも人は存在自体が迷惑であり、しかし同時に他者の救済にもなりうる。誰しも赤ん坊のときは、親に全面的に迷惑をかけ、しかし同時に親を救うのではないか。
 戦後の日本には、敢えてモラルを破ることを通じて人の倫理を追及する文学があったが、今のメディア空間では、そのような倫理(エティック)よりも大衆受けする道徳(モラル)が跋扈しているように見える。この問題は、イラクで誘拐されたボランティアに対するメディアの批判とも通底している。

 ボランティア活動時間の国際比較に関して言えば、そもそも日本のボランティア活動時間は欧米と比べて圧倒的に短い。社会保障が充実して休暇の長い欧州より短いのは分かるが、アメリカ人が最も活動時間が長く、日本人はその5分の1程度しかない。

 つまり、日本人は人に迷惑をかけないが、人助けもしないということだ。民主党政権は「新しい公共」を掲げており、NPO法の改正によって非営利法人の収益性が上がることが予想される。経済的な効果によって、日本人は「人に迷惑をかけても人を助ける」ように変化するだろうか?そのとき日本人は、今よりデモに行くようになるのだろうか?

*市民メディア・レアリゼが事務局を担当する「脱原発ポスター展」は、4月30日の公開後、自由に使用できることが話題になり、デモに参加した多くの人が利用してくれた。9月現在640作を超える作品が集まっている。

かつては労組や団体の幟(のぼり)などが目立つデモだったが、最近のデモは子供を連れた若いお母さんなど、普通の人の参加が目立つ。脱原発ポスター展は、普通の人たちがデモに参加するツールを提供することで、デモに参加するハードルを下げ、デモをポップで可愛いものにすることに多少なりとも貢献できたと考えている。


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