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市民が建てた石鹸工場 (1)~日本の社会起業家:川崎市民石鹸プラント(ワーカーズコレクティブ『サボン草』)~

廃油リサイクル石鹸工場

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三沢健直 松本市
day
2004-05-26
 

1. 『石鹸運動』から

 川崎市扇町、昭和電工や三菱石油の巨大プラントの塀が、大型トラックの舞い上げる土埃のずっと先まで続いている。空には白い煙がたなびいている。駅から運河の方へ最も奥まったところに、巨大プラントの塀に挟まれた土の路地があり、その突き当たりに輝く運河が見える。水のほとりに、トタンで覆われた小さな石鹸プラントが立っていた。

 株式会社川崎市民石鹸プラントは1989年、6000人の地域住民が出資し、まともな水を取り戻すために設立した石鹸工場である。

 1979年に琵琶湖で始まった石鹸運動がきっかけだった。1977年、琵琶湖に赤潮が大量に発生し、周辺では水道水も臭くて飲めないような状態になる。当時の武村知事が合成洗剤業界の反対を押し切って、「琵琶湖条例(滋賀県琵琶湖の富栄養化の防止に関する条例)」を制定した。それに合わせて、富栄養化の原因となるリンを含まない石鹸を使う運動が始まり、全国に広がった。

 関東でも、多摩川に流れ込む合成洗剤が淀んで泡を立て、舞い上がった泡が風に乗って周辺住宅の窓から飛び込むようなありさまで、石鹸運動はたちまち主婦の間に広がった。手荒れや肌荒れに敏感な主婦たちにとって、この問題は他人事ではなかったのだ。

 神奈川県川崎市の生活クラブ生協に入ったばかりの石崎娃子さんも、この問題に強い関心を持っていた。公務員の夫と高校生の息子を持つ、普通の主婦だった。はきはきとして大らかで、いつも楽しそうなビジョンを語る石崎さんは、今では還暦もだいぶ過ぎているが、そうは見えない力強さを感じさせる。石鹸工場の脇の小さな事務室は、机四つを真ん中に並べて一杯で、その部屋で石崎さんは実際より少し大きく見えた。

 当時、神奈川の生活クラブ生協は合成洗剤禁止条例を制定するため、22万人の署名を集めて各自治体に直接請求を行った。「この直接請求というのは凄いことなのよ」と、石崎さんは楽しそうに言う。当時の沸き立つような人々の想いが想像された。しかし、横浜・川崎・藤沢・座間・大和・海老名・鎌倉の全市で条例案は否決された。自治体は産業優先だったのだ。

 ちょうどそのころ、家庭排水、中でも廃食油が河川や農業用水を汚染する大きな要因であることが明らかになっていた。ならば、水質汚染の原因となる廃食油をリサイクルして、リンを含まない石鹸を製造するプラントを設立したらどうだろう。まさに一石二鳥のアイディアだった。全国では手賀沼、水俣に続く3番目の廃食油リサイクル石鹸工場だ。それを自分たちの手で運営する。このアイディアで、神奈川県の石鹸運動はさらに盛り上がった。

2. 会社の設立

 会社を設立するために、川崎市で『きなりの会』を結成し、市民6000人から一口1000円で、4年間かけて900万円を集めた。石鹸運動の勢いをかって資本金集めは順調に行った。それとは別に生活クラブ生協が1400万円を出資して大株主となり、市労連も200万円を出資した。さらに当時創立されたばかりの、日本初の社会起業家向け金融機構である市民バンクから1000万円を借入した。

 こうして集めた資金から資本金2300万円(現在は3000万円)で株式会社川崎市民石鹸プラントが設立され、建物も完成した。ところが、実はその段階に至っても、誰が実際に工場で働くのか、決まっていなかったのだ。

 石鹸運動を担ってきたのは普通の主婦たちである。借入金を含めて4000万円のプロジェクト、しかも、まるで経験のない製造工場での作業と経営の実務である。技術的な指導をしていた太陽油脂のエンジニアも、新しい油からの石鹸製造の経験はあっても、廃食油リサイクルの経験はない。誰ひとり、自信のある者はいなかったのだ。

 幸か不幸か、石鹸運動の中心にいた石崎さんの息子はすでに学生で手がかからない。夫も生協運動の理解者で、帰宅が遅くても文句は言わない。気がついてみれば、自分がやるしかない状況になっていた。「なんでこうなってしまったのか。」石崎さんは頭を抱えたという。そう笑う石崎さんの口調からはあまり深刻さが感じられない。時間が経って深刻さを忘れてしまった、という以上に、危機に対して必要以上に深刻にならない人なのだろう。きっとそれが周りの者に安心感を与えるのだ。

 自分がやることは決まった。しかし他のメンバーを集めるのは一苦労だった。技術者を呼んで石鹸製造の勉強会を開いてみた。すると講師が石鹸製造の大変さをしきりに強調する。会が終わると、参加者は少し引き攣った顔をして口々に「できる限り応援します」と言う。

 仕方ないので川崎市の各地区から一人ずつ、半ば強引に7人のメンバーを集めた。そうして「いやいや始めたようなもの」だった工場での仕事だが、「蓋を開けてみたら、応援をしてくれる人がたくさん居て、色んなところで想像していなかったような"もて方"をしたのよ。」それで、いつの間にかやる気になっていた。さらに中古の機材に硬くなってこびり付いた油を、自分たちで擦り落とすうちに、「工場に愛着が出てきたのでしょうね」と振り返る。

 それ以来、石崎さんは辞めようと思ったことは一度もない。「辞めるなんて、思いつきもしなかった。やりだした事だから。」

 株式会社川崎市民石鹸プラントには、筆頭株主の生協から社長が就任したが、現場で働くメンバーが運営に責任を持つためにワーカーズコレクティブ『サボン草』を設立し、石崎さんが代表に就任した。株式会社からワーカーズコレクティブに業務を委託される形で、毎年の石鹸売上高を元に次年度の報酬を定めている。売上が伸びなければ、代表の石崎さんはじめワーカーズコレクティブ全員の給与が下げられる。つまりワーカーズコレクティブがプラントの運営にリスクと責任を負っているということだ。現在では3代目の薄木かよ子さんが代表に就任している。

 設立当初、7人と言っても常勤は1人だけ。みな子供を持っていたり、遠くに住んでいたりして、最初のころは全員が毎日来られるわけではなく、1人しか来ない日もあった。そんな日は工程の内の一つだけを行い、次の工程は翌日、そういうペースだった。そもそも当時は、主婦7人が運営する工場ということで取材がひっきりなしで訪れ、仕事どころではなかったと石崎さんは笑う。


市民が建てた石鹸工場 (3) ~日本の社会起業家:川崎市民石鹸プラント(ワーカーズコレクティブ『サボン草』)~
市民が建てた石鹸工場 (2) ~日本の社会起業家:川崎市民石鹸プラント(ワーカーズコレクティブ『サボン草』)~

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