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2011-11-20 (日)

黄土高原のなつめが実る村を訪ねて

カテゴリー:メンバー日記(世界の日常) | 書評

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内モンゴルから南側の、黄河が大きく蛇行する広大な流域は黄土高原と呼ばれ、その面積は日本全体に匹敵する。粘土質の高原を無数の河川が浸食し、聳え立つ台地と深い渓谷とが延々と繰り返される地形を形成している。
  
見晴らしの良い高台の山頂に立って周囲を見渡すと、谷の向こうにそびえる高台の向こうに高台があり、そのさらに向こうに高台が連なっている。見渡す限り360度が高台と渓谷で形成され、そのすべての台地が、視界の及ぶ限り、段々畑で埋め尽くされている。事前に話は聞いていたが、そこに立つまでは想像することのできない光景だった。
  
1000年を超えて営々と積み重ねられた人間の巨大な足跡の前に立って、しばし自分の小さな人生の選択について思いを馳せずには居られなかった。
  
山西省の黄河近く、黄土高原に住む人々が作る横穴式住居(ヤオトン)に暮らす大野さんを訪ねたのは、この11月はじめだった。初めて高度高原の村を歩き、ヤオトンの宿に泊まった。ヤオトンは聞いていたほど寒くはなかった。といっても11月初め頃は、まだ寒さが厳しくなかったが、今頃は、夜はマイナスになるので、厳しくなるのはこれからの季節だろう。
  
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「記憶にであう」の著者である大野さんは、かつてこの地で行われた日本軍による燼滅作戦(いわゆる三光作戦)の被害者を訪ねて、「最後の」聞き取りを行っている。「最後の」、というのは当時のことを記憶する老人たちが、いま次々に亡くなりつつあるからだ。大野さんによる聞き取りが、おそらく三光作戦の最後の聞き取りになるのだろう。
  
旅人に過ぎない私たちは、「記憶」に出会ったとは言えない。273人の住民たちの逃げ込んだ大きなヤオトンを日本軍が煙でいぶして皆殺しした場所で、私は黙祷をささげた。それ以外は、親切で柔和な住民たちと出会い、広大な段々畑の光景の中にたたずみ、古い伝統がそのまま残されたヤオトンの美しい村を歩き見て、行く先々で頂くナツメを齧っていたに過ぎない。
  
読みかけだった「記憶にであう」は、帰国してから一気に読んだ。この本には、大野さんが中国の親切な老人たちと供に過ごす現在の時間と、彼らが証言する日本軍の残虐行為の行われた時間とか、交互に現れるように編集されている。この本の中の大野さんを通して、この地で多層的に重なり合う時間を垣間見ることができた。この本を読んだ後では、私の黄土高原の記憶も多層化して存在している。
  
大野さんの暮らすヤオトンの村は、炭鉱が家々の下まで伸びてきたために崩壊の危機に瀕している。近い将来には村のヤオトンはみな崩れ、段々畑は放棄され、本物の荒野が広がる地になってしまうかもしれない。一方で、ヤオトンの宿がいくつか集まる村は、将来は観光地として世界の人々を惹きつける可能性も感じられた。
  
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投稿者:三沢健直  Comments: 0 Trackbacks: 0


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