お墓のある風景
カテゴリー:メンバー日記(世界の日常)
今月の写真ギャラリーは、「世界のお墓」。夏に墓参りに行った際に、世界のお墓ってどんな形をしているのだろう、と思ったのがきっかけだった。沖縄のお墓が、日本のお墓と随分違うことは知っていたので、世界のお墓はどんな形をしているのだろう、と思ったのだ。
僕は北京のお墓を撮影した。一見すると日本の墓に似ているのだが、中国では夫婦で一つのお墓に入る。日本のように、家に一つのお墓があるのとは違う。また、中国では、お寺が身近に存在せず、墓地は郊外に宗教と切り離された形で存在する。お葬式も墓地に隣接した施設で執り行う。
僕の祖父母の墓は、地方都市の市内にあるお寺にあるのだが、土地の面積が既に限界にきている。数年前にお墓参りに赴くと、お墓の周囲の木がすべて切られていて、真夏の太陽が墓石に直に照り付けていた、以前は、生茂る木の陰にあったお墓が、日の光に焼かれていた。なんとも味気ない思いがしたものだ。
北京の墓地では、木々が生茂っていて、涼しげだった。しかし、多くの市民は高価な墓石を買えず、無料の倉庫の棚に納まっている。
今回の写真ギャラリーは、そんな世界のお墓について、話を聞けると良いな、と思ったのだが、思いのほか、お墓が身近に無いらしく。あまり集まらなかった。どういうわけが、軍隊に関係する写真が二枚もあって、あまりレアリゼ的でないような気もするが、これもまた死が現代で取り扱われる様式だろう。
僕はだらしない人間で、死について考えるのは怖いし、あまり考えたくなかった。その結果、無限に時間があるような気がして、無駄に時間を過ごしてしまった。僕のような人間は、死から目をそむけると堕落する。「あと20年で死ぬ」そう自分に言い聞かせることで、ようやく時間を動かすことができたのでした。